ウィリアム・ブレイク版画展
国立西洋美術館
20111022-20120129
2011年10月28日(金) 晴 13時40分頃~14時00分頃
【総評】
ゴヤ展とあわせて観に行きました。常設展入口から入って2階版画素描展示室まで距離がありますが、常設展の作品を観ながら行けますので、そう苦にはなりません。
ギリシア神話関連ですが、以下の3点がありました。全てウィリアム・ブレイクさんの作品ではありませんが、年代的にはルネッサンス初期ぐらいで絵画でもようやくギリシア神話のテーマが増えてきた時期のように思います。
この美術展は写真撮影が可能ですので、写真を掲載しています。写りが悪いのはご了承の程を。なお、撮影の際には係りの方に一言かけておいた方が、良いかと思います。
クォス・エゴ(波を鎮めるネプトゥヌス)
1515-16年頃 エングレーヴィング
マルカントニオ・ライモンディ 1470/82年頃-1527/1534年頃
まず最初の「クォス・エゴ(波を鎮めるネプトゥヌス)」の題名の「クォス・エゴ」ってなんだろ?とググッてみるとどうやらラテン語で、
ウェルギリウス『アエネーイス』第一巻135行目の句
との事(こちらを参照)です。ラテン語は全然分りませんが、原文を見ると確かに「Quos Ego」の記述があります(こちらを参照。なお、こちらのHPのラテン語の先生より「Quos Ego」は「彼らを / それらを私は(・・・する)」という意味で、動詞が省かれている状態、との事を教えて頂きました。有難く反映させて頂きます。感謝多謝)。
このシーンは『アエネーイス』の冒頭でイタリアを目指しているアエネーアース(トロイアの英雄)をユーノー女神(トロイアを憎みギリシアに味方する。トロイアのパリスが「一番美しい女神へ」の林檎をくれなかったから)が、風を司るアエオルスに命じて暴風雨を起こさせますが、海上はネプトゥーヌスの領域。 自分の領域を勝手に荒らされたのではネプトゥーヌスも黙ってはいられません。そこで風を叱りつけますが、そのシーンのようです。
泉井久之助訳「アエネーイス(上)」(岩波文庫)を見てみると、
かかる輩(やから)をわしは今-。いやそれよりも当面に、なすべきことは大波をおさめることじゃ、そのあとで、例なき罰で汝らの、犯した罪を償(つぐな)わそう(P22抜粋)。
とあります。この冒頭の「かかる輩(やから)をわしは今-。」が「クォス・エゴ」のようです。ジェイムズ・ホール著「西洋美術解読事典」のネプトゥヌスの項目を見てみると、
〔2〕波を鎮めるネプトゥヌス;ネプトゥヌスの怒り;「クォス・エゴ(お前たちを私は)」
<略>
「クォス・エゴ(Quos Ego お前たちを私は)」というのは、風を罰そうとしてネプトゥヌスが言いかけた脅しの言葉。「不敵な風、お前たちを私は〔片づけてしまおう〕」(p249-250)。
とのこと。ネプトゥヌスのテーマとして2番目の例で書かれているということは、絵画の世界ではこの「クォス・エゴ」結構、有名なテーマなのかもしれません。 なお、絵画の説明としては、
ネプトゥヌスは、はね上がる海馬の引く凱旋車に乗り、荒波の只中に立って風に向かって三叉の矛を振り回している。風は雲から現れる顔として表わされ、頬をふくらませて息を吹いている。背景ではトロイア船が人・積荷もろとも沈み行くか、あるいは上下に揺れ動いている(p249抜粋)。
とあります。写真が鮮明ではないので分りにくいですが、この記述のままの版画になっています。
イフィゲネイアの犠牲
1553年 エングレーヴィング
ニコラス・ベアトリゼ 1507/1515-1565頃
次の「イフィゲネイアの犠牲」はトロイアへ向かいたいギリシア軍が順風を得られず、神意によりギリシア軍の総帥アガメムノンの娘イフィゲネイアを生贄に捧げるシーンだと思われます。
左下に座っている女性がイフィゲネイアでしょうか。左端に立っている男性は父親であり、犠牲に捧げたアガメムノンか最後まで生贄に反対していたアキレウスでしょうか。この辺はキャプションが欲しい所です。
また、不憫に思った女神アルテミスが殺される瞬間に鹿とすり替えた、という話があり、恐らくその為、左側に鹿が描かれていると思われます(ただ、牝鹿だったような。この版画だと角が生えていますね……)。
休息するヘラクレス
1567年 エングレーヴィング
ジョルジョ・ギージ 1520-1582
最後の「休息するヘラクレス」は……何のシーンかさっぱり分りませんでした……。まぁ冒険の多かったヘラクレスですので、多々休むこともあったかと。
ジェイムズ・ホール著「西洋美術解読事典」によると、
休息するヘラクレス <略>ヘラクレスが棍棒、弓、矢筒を地面に投げ出し、毛皮の上に横たわった姿で示される異なった型もある(P302抜粋)。
との事です。う~ん、弓や矢筒がないのでヒュドラ退治とか12功業の途中ぐらいですかね。
後、ギリシア神話とちょっと絡んでいるところで先程の『アエネーイス』の作者ウェルギリウスが描かれている版画がありました。
アーニョロ・ブルネレスキを襲う6本足の蛇 ダンテ『神曲』のための挿絵より
1826-27年 エングレーヴィング、ドライポイント
ウィリアム・ブレイク 1757年-1827年
神曲は読んだ事がないので分りませんが、どうやら左側の二人がダンテとウェルギリウスのようです。ただ、残念ながら、どっちがウェルギリウスかは分りません……知識不足です……orz。